関東なごやめし普及委員ばっすんのプロフィール

どうも、関東なごやめし普及委員(非公認)、ばっすんです!
まず、お前誰だよと思うと思うので、僕の活動を1コトで紹介します。

それは
“関東エリアでなごやめしを発信すること”
です!

とにかく地元・なごやめしリスペクト。
食べるのが大好きだったのですがいつしか作る方へ!
現在住んでいる東京から、イベントや出張料理で
まだまだマイナーなあんかけスパやきしめん等の”なごやめし’を発信しています!

とまぁこんな感じで都内で活動していますが、こうなるまでに色々なことがありました。
そんな僕のストーリーを恥ずかしいですが、書き連ねます!
共感してもらえると嬉しいです。

  • 30歳まで名古屋市の実家に居座る
  • 仕事を機に東京に引っ越す
  • なごやめしの良さ痛感
  • なごやめしを食べるイベントを定期的に開催

ばっすんの生い立ち

1984年6月30日生まれ。

血液型はO型。

4人兄弟の末っ子として甘ったれて育ちつつも、基本年長者主権の家庭だったため引っ込み思案。

30歳まで名古屋市の実家に居座り、仕事を機に東京に引っ越してきました。

メンタルが鍛えられた小学生時代

小学生の頃はなんだかんだ友達に囲まれていた気がします。

四年生の頃に転校して最初馴染めず、いじめなどにもあいましたが
めげずに立ち上がり、当時流行っていた”スラムダンク”の影響で入ったバスケ部で頑張るなどしていたら徐々に友達ができました。
そんな経験から「いじめはいじめられる方の心構えも大事である」という考えを持っています!

スラムダンクは今現在まで大好き!!!

ってわけではないですが(ちゃうんかい)
チームでは海南大付属が好きでゲームでも牧と神をよく使ってましたね。
お話もさることながら大黒摩季やWANDSやZARDといった大物から、BAAD・MANISHIみたいにスラダンで有名なアーティストもいたりして主題歌は今でも好きな曲多いです~

クリエイター人生の礎を築いた中高学時代

中学時代はサブカル系→デザイン志向への変化

中学時代は完全にサブカル系男子となり、帰宅部な上ゲームや落書きなどをしていたためスクールカースト最下層。もちろん女子にもモテない。これといった思い出がない中学時代。

TVゲームよりゲーセンに行ってストゼロ2やKOF96といった格ゲーをやり込み、家ではスーパーロボット大戦Fに大ハマり。
それまでもBB戦士とかSDガンダムは好きでカードやガチャポンを集めたりはしていたのですが、スーパーロボット大戦によってちょっと上世代のアニメに興味を持ちました。

ダンバインとか

ザンボット3のデザインを見たら、「昆虫や武士といったモチーフの落とし込み方素晴らしい!」

というように全身に電撃が走ったかの如く、しびれるほどのデザインを堪能しましたね。

もともとゲーム自分で作ったり絵を描くことが好きな少年でした。
ロボットの絵を描いたり設定とか考えてるうちに何か企画したり考える仕事に就きたいと考え始め、市立では有名なデザイン科のある市立高校を受験することになりました。

実技の試験もあったのですが、美術の成績が良かったわけではないため必死で勉強し、合格。
なぜか当時はよくわからない自信がありましたねw
厨二病的に自分には特殊な力があると思い込んでいました。

高校時代はなんとなく青春を謳歌。

高校では夢のデザイン科に胸を踊らせました。
しかし、同窓生の男の子たちは人数も少なく、あまりサブカル系に強い感じの人もいなかったので完全に浮いてしまいました。

いじめといじりの間的扱いを受けつつ根暗な日々を送るも、内申点目当てで生徒会の門を叩き、なんとなく青春を謳歌していました。
生徒会周りはわりとサブカル好きな人多かったんですよね。
あと当時はV系バンドが流行っていて、兄の影響でそのジャンルにそこそこ詳しかったことも大きかったです。
SOPHIAはとくに好きでライブとかもよくいっていたなぁ。
CDとか買うためにバイトも頑張りました。

生徒会メンバーの紹介によって初めての彼女も出来たし、ニケツ下校したり普通の高校生活はできたかと思います。まぁ半年で失恋したんですが!

お勉強のほうでは、高校3年間の中で手を動かすより、頭を動かすことが得意なことがわかり
そこを生かせる学科を見つけて受験しました。
そしてAO入試でさくっと決めて高校時代を終えました。

地域活性に目覚めた大学時代

大学まで来ると周りも似たような変人が多かったのか、非常に馴染めてこれまでのようにいじめられるどころか一気に陽キャラへとジョブチェンジしました。
世に言う大学デビューってやつかもしれません。
人生がとても明るくなりました(笑)

学科も小手先というよりはプランニングをベースとした基礎デザインで、物事の考え方を学びました。
その特性上この学科には素人みたいな人が多くて、この時もやはり高校からデザインを学んでいる俺はすごい!と自信満々でした!
が、他の学科を見るとやっぱり大学はすごいやつばかりであっという間に自分の立ち位置を理解しました(笑)

そんな環境だったので意識は高く持とうと、当時は定期的に

  • 東京にいって21_21や森ビルのデザイン展
  • 彼女との旅行先も香川県の直島の地中美術館

まるで「意識高い系」のような頭で生きてました。
しかし当時は東京という街に住むっていうイメージは全然なかったです。

一方課外活動では、地域の活性化プロジェクトに参加して地元の飲食企業との商品開発や地域のお祭りなどの企画運営を行いました。
自分の関わる地域のことを知ることも面白かったし、それをまた他の人に伝え反応を見るのも面白かったです。
地域資源や郷土料理に興味を持ち始め、それらが根付いた理由を紐解くのが好きでした。

私ばっすんがイベントを始めようと思ったきっかけはなんなのか?

大学卒業後は小さなプロダクションでデザイナーとして勤務し
公共施設やオフィスビルのサイン計画に携わっていました。
テーマパークのサイン計画など大きな規模の仕事も経験しそれなりに充実していましたが
リーマンショクの影響で仕事が激減。希望退職という形で会社を去りました。

その後アルバイトをしながら宛てもなくフリーランスの活動をスタート。
そんな中たまたま繋がったカフェのオーナーさんと彼の店で子供達をターゲットとしたワークショップをするようになり、大人向けの陶芸イベントなんかも始めました。
当時はmixiが主流でコミュニティページで集客していました。

そんな中でcafeのお客さんからはじめてラブレターをもらいました。

当時5歳の女の子でしたが(笑)

生まれて初めてバレンタインに逆チョコを作ってプレゼントしたらめちゃめちゃ喜んでくれて可愛かったです。(その半年後くらいにはクラスの男の子に心変わりされてしまいましたけど!)

この経験がのちのイベントを通じて人に喜んでもらう基礎ができたのと考えてます。

名古屋飯といえばこれだ!魂のグルメ「あんかけスパ」にはまる

FBが主流になってくると、そこで繋がった飲食店店主同士でスタンプラリーイベントをやろうという企画が持ち上がりました。
カフェのオーナーさんにお声がかかったのをきっかけにそこのロゴやスタンプカードのデザインなどのアートワークを担当させてもらえることになりました。
地域のつながりやお祭りごとが好きな私にとってはとても楽しくできるお仕事で、アートワーク以外にも積極的に運営に参加しました。

そのイベントの参加店舗の一つがあんかけスパ専門店「からめ亭」の店長さんでした。

彼の作るあんかけスパは今まで食べていたあんかけスパとは全然違いとても美味しかった。
あんかけスパは名古屋に住んでいた私にとって昔から身近な存在でしたが、
もともとは好んで食べる程の物ではなく、それまでの人生で2~3回くらい食べた程度だったのですがその日を境に自分の大好物になりました。
店主さんとは年も近く、フットサルを一緒にやるなど公私仲良くしていただけました。

そんなこともあってあんかけスパという存在がぐっと近くに感じられるようになりました。

その時知り合ったお店は他にも味噌カツ屋さんや味噌煮込みうどん屋さんといった名古屋めしのお店も多いです。中華やハンバーガーオムライスといったお店もたくさん知り合えて、いまでも帰郷の際はちょこちょこ寄っています。
どこもとても美味しいです。

そしてあんスパ会のはじまり

そんな折、仕事で名古屋から東京に引っ越すことになりました。
引っ越して、今まで当たり前にあった料理の数々が身近でなくなることはとても残念でした。
都内にも「矢場トン」「世界の山ちゃん」「コメダ」などいわゆる名古屋飯を味わえる場所はいくつかありますが、チェーン店ばかりで遠い故郷をしっかりと感じられる場所はそうはなく、特にあんかけスパが食べられる店は数える程もないのです。
なんとか都内であんかけスパを食べ続けられないかと考えたのが、この活動がきっかけの一つです。

東京に来た当時、仕事上の付き合いのある人は数名いたものの、友達と呼べる人はほぼいませんでした。
そんな中、属していた渋谷のシェアオフィスの方に交流の輪を広げるためにイベント開催してはどうかと勧められました。名古屋でもイベントやってましたしね。
そこで、東京の方への自己紹介も兼ねて地元の食「あんかけスパ」を振る舞うことにしました。
東京でのなごやめしイベントの始まりです。

一番最初はオフィスの仲間に助けられながらも、カウンター6席もあれば十分なくらいの集客数でスタートでした。作りも今に比べると大分シンプルだし、素人感丸出しでした笑。
それでも名古屋独自の味わいに「美味しかったからまたやって欲しい!」という声をいただくことができました。

それから自分自身も他の方のイベントに行って交流を各所に生み出していき、そこで「あんスパとあんスパ会」の宣伝をしました。

都内の人からするとまだまだ珍しいメニューだったので、自分自身を覚えてもらうツールとしてかなり役立ちました。
知人主催の他のイベントに行っても「あんかけスパの人」と言われることも増えました。
後に今現在も使ってるイベントスペースのオーナーたちにも出会うことができました。

そんな甲斐あって毎月のようにイベントを開催するようになり、その都度来てくれたお客さんとあんかけスパを一緒に食べながら交流を深め、徐々に仲間の輪が広がっていきました。
現在では毎回25名程が集う会に成長していきました。

そんな始まりだったあんスパ会ですが、よくこんなお言葉をいただきます。

  • 初めてあんかけスパを知って、こんな美味しいものがあるのかと電撃が走った!
  • 名古屋に行ってあんかけスパを本場で食べたくなった!明日行ってくる!
  • 名古屋に行ってあんスパ食べてきたよ!本場もやっぱり美味しいね!

名古屋出身の方がきてくれることもあり、「なかなか地元に帰れないから食べられるのが嬉しい」と言ってもらえることもありました。

あんスパだけに留まらず、手羽先や手打ちきしめんといった名古屋めしの提供も開始し、仲間内からは「なにやら変わった美味しいものを出してくれる人」みたいなポジションを確立しました。
そういったメニューも、自分としてはごく当たり前のものだったのですが、「食べたことない」だったり「それが名古屋名物だとは知らなかった」という声もあって、名古屋の食の文化を伝えていくっていう役割も担うことができることに気づきました。

当初仲間づくりを目的としていた会が地域アンテナショップ的な役割になってきたのです。
もちろん小さな規模の話ではありますが、大きな意義を感じています。

東京の小さな名古屋を目指して

今後も関東から「移動式の小さな名古屋」を目指して、活動したいと思っています。

ばっすんの具体的な活動を見てみたい方はこちら